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若き消化器化器外科医へ ~中山恒明先生より消化器外科医へのメッセージ~

すべての手術を
安全・容易にする工夫
中山恒明 (出典:45人の提言[若き消化器外科医へ」より)

今回、第38回日本消化器外科学会会長の岩崎洋治教授に頼まれて、私の考えを述べ、皆様の参考に供したいと思う。
 私は1934(昭和九)年、千葉医大を卒業して、当時の附属病院第二外科、すなわち瀬尾貞信教授のもとに入局した。当時の外科といえば、講座をもっていた眼科、耳鼻科、産婦人科を除いたすべての患者に対し、メスを持って治療に取り組んでいた。もちろん、整形外科も独立した講座にはなっていなかった。脳外科の患者、小児外科の患者も一般外科に治療を受けに来る時代であった。したがって、外科の教室員はみな幅広い知識を求められた。
 私が、第二外科を希望した第一の理由は当時、世界中でまだ治療困難とされていた食道癌の治療を、その研究テーマとして取り上げていたからである。そのころ私は、自身の生涯の目標として「治らない病気」を治すことと、あらゆる手術を簡略化して容易にし、だれもがこれを行うことができるようにし、しかも成功させる手術をつくりあげること、これを考えていた。そして当時、第二外科にやってくる患者は、大部分が消化器の疾患であったので、その教室員は必然的に消化器外科医となっていたわけである。
 瀬尾先生は、食道癌について、いろいろ動物実験なども試みられたが、なんといってもその最大眼目は、食道癌患者の根治手術である。
 とくに胸部食道癌がその対象となった。しかし当時は、閉鎖式の循環麻酔器などはなく、開胸自身が大変に難しかった時代である。大体の手術は、局部麻酔だけで行われた。
 瀬尾先生は夏休みになると噴門癌の手術二例ぐらいと、胸部食道癌の手術一例を、毎年、私が師事している間に施行した。胸部食道癌患者は、開胸している間に、おかしくなる例が多かった。噴門癌では開胸しないので、いちおう患者は病室に帰るが、そのあと全部が縫合不全となって、急性胸膜炎やら、腹膜炎やらで、死亡した。それでもなお手術を施行する先生のファイトには、私など、大いに、感銘を受けたものである。
 さて、私の場合はどうかというと、ある噴門癌患者の手術中に、腹部にひっぱり出した食道にかけた鉗子がはずれたことがあった(開胸はせず)。食道は縦隔腔内に引っ込んでしまって、腹部で食道と胃管を吻合することなど不可能の状況になった。このとき思いついたのが、口から、胃カテーテルを腹腔まで入れて、これに胃管を縫合し、口からカテーテルを引き上げて、食道断端と胃管の断端を接着固定する、いわゆる「吊り上げ法」である。
 これは、骨折の時の治療の原則である整復、固定にあたる。
 この方法で、五例ほど治癒せしめた。しかしその後、麻酔法の進歩により、開胸が安全に行えるようになったから、この「吊り上げ法」は消え去ってしまった。
 さて、胸部中部食道癌に対してであるが、食道全剔後、胃管を胸壁前に皮下を通して頸部に持ち上げて食道と吻合する「胸壁前食道胃吻合術」による胸部中部食道癌の根治手術は、私が、世界で初めて成功したものである。
 この最初の症例は、手術後二十四年間も健康に生きてくれたため、学会のとき出席していただき、会員諸兄に見てもらったことがある。
 また、手術を簡素化する意味で開発した「中山式胃腸縫合器」は有名になり、広く使用されたものである。
 ここで私が言いたいのは、今は、科学一般も、麻酔も、チューブ栄養なども、めざましい進歩をとげ、私の現役時代と雲泥のひらきがあるものの、若い消化器外科医たちのめざす真理は変わらない、ということだ。
 そこで第一の注文は、今でも治癒困難な疾患が多いのだから、それを治癒容易なものとする工夫、それから第二に、すべての手術を簡易化して、だれもが、安全かつ容易に成功するような工夫をすることだと思う。
 そして、このいずれかに成功したら、すぐに発表して、皆さんに知らせ、国民全体の保健に役立つようにすることである。諸兄のご健闘を祈ってやまない。